「家庭・家族」の役割・機能の見直しと再構築
サブプライムローン問題に端を発した国際金融不安の増大は、世界経済に「100年に一度」といわれる経済の後退をもたらしており、その影響は、アメリカの3大自動車メーカーが政府に救済を求めるまでに発展している。
日本国内では、生産調整を必要とする大企業を中心に、非正規雇用労働者の解雇が相次ぎ、改めて「格差社会」の実相が浮き彫りにされ、その過程で、日本国憲法第25条において認められている国民の生存権に対する制度の不十分さ・脆弱さが問題となっている。
もともと国家の生存権の保証は、国家が健全な状態で運営されているときにのみ有効と考えられているが、今回の国際金融不安により、アイスランドは、実質的に財政破綻状態に追いやられ、同国の社会福祉や社会保障体制が大きく揺らいでいる。
アイスランドのように、「公的責任」ともいえる制度や機能を、財政破綻を理由に放棄したり、また、日本の場合、財政破綻を免れるため歳出削減策が強化され、「公的責任」が縮小されることが十分考えられる。この放棄・縮小された「公の役割」は、最終的に「私」の代表である「家庭・家族」が肩代わりせざるを得ないのであろう。
しかし、現在の「家庭・家族」は核家族化によりその機能や能力を大きく減退させており、「公の役割」を肩代わりするためには、早急に「家庭・家族」の在り方を見直し、再構築する必要がある。つまり一人ひとりが「家庭・家族」に対し何ができるかを見直し、働きかけることこそが、持続性ある社会を構築する一助となるのではないかと思われる。
以上
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