著書

今を生き 明日を生きる / 著者 岡田登史彦

ikiru_front.jpg妻の事故から家族の絆を取り戻した感動の記録

価格 1,260円(税込)
発行元 PHP研究所

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妻が生きているだけで、子どもたちにとって「母親」という存在は確かなものになる。たとえ植物人間となって話せなくても、子どもたちにとっては、かけがえのない母なのだ。しかし一生意識が回復しない可能性があるという現実も、また、受け入れざるを得なかった。(本文抜粋)

トライアスロンの練習中、自転車で大怪我をして病院に運ばれた妻。
経営トップ、夫、父親という立場にある著者が、その看護の中で気づいた”人生で本当に大切なもの”とは?

今を生き 明日を生きる

■はじめに————————–

本書の第1部は、2001年7月に、妻の由利子がトライアスロン自転車練習中に事故を起こし重症となった時点から、2001年11月に病院を退院するまでの時の流れの中で、その時の私や子どもたちが、妻の事故からどのような影響を受け、どのように感じ、対処したかを記した。なかでも、子どもたちが母の回復を願い看護することと、しっかりと自立することは同じことなのだと自覚し、成長していく姿とともに、家族の絆が深まっていく過程を述べている。
妻の事故による怪我の症状は、①脳挫傷、②右顔面挫傷(右頬骨2か所骨折)、③右動眼神経麻痺、④肺挫傷(右血気胸)、⑤右第4、第5、第6助骨骨折、⑥腰椎(第1)圧迫骨折、⑦腰椎(第2、第3、第4)右横突起骨折、⑧消化管出血、⑨右上肢、頚部(けいぶ)、右膝、左手第3指の打撲、挫傷などと、正視できないほど痛々しい姿であった。また、脳の症状名は、「びまん性軸索損傷」といい、今から10数年前に発見された症状名で、絶望的な植物人間となる可能性の高いものであった。
このような妻の症状に対する的確な知識や情報を、私は持ち合わせておらず、退院までに127日間も要するとは、全く予想もしていなかった。
妻の入院の間に、見舞いにきていただいた友人、知人の方々は延べ282人、またこの間、交わしたメールの往復書簡累計総数は、1,409通にも達した。これは、妻や家族にとって非常にありがたい支えとなり、感謝の念は筆舌に尽くしがたいものとなった。妻の順調な回復は、このように多くの方々の支えのうえにあったものと思えてならない。
妻は、脳に重い「びまん性軸索損傷」を負ったが、昨今増加している脳血栓や脳溢血、脳挫傷などと、脳障害を患う方々の家族としての対応や覚悟といったものは、私たち家族が味わったものと同様に思われる。そういう意味では、それぞれの症状名は異なるものの、妻の事故による看護の経験を多くの読者にお知らせできることは、何らかのお役に立てるのではないかと思う。
第2部は、2006年10月に私が関西師友協会で講演した話を中心に、まとめたものである。この話は、私の生い立ちから今日に至るまで、また、同志社大学大学院に社会福祉を学ぶに至ったいきさつなど、いかに悔いのない「立命」した人生を送ることが大切かを語ったものである。第1部と内容が重複する箇所もあるが、併せてお読みいただければ幸いである。

今を生き 明日を生きる *目次*

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第1部 *家族の絆*
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Ⅰ プロローグ(2001年4月初旬)

娘の英国留学への事前訪問
私の履歴書
妻の趣味はトライアスロン

Ⅱ トライアスロンとウルトラマラソン(2001年4月初旬〜7月初旬)

妻の宮古島大会
妻のトライアスロン大会とその影響
妻の不得意種目はバイク
私のサロマ湖100キロウルトラマラソン
TRY YOUR BEST
マラソンと人生
神様は、努力した人を誰も見捨てない

Ⅲ ある7月の週末 事故前日(2001年7月7日)

十里木でのバイク練習
「黒茶屋」での思い出
子供たちの成長と変化
夫婦の反省と夢
欠けていたゴールシーン

Ⅳ わが人生、その時(2001年7月8日)

次男・正至の成長過程
妻の事故発生当日(2001年7月8日)
妻の様子と妻の容態
担当医からの容態説明
症状の受容と子どもたちへの配慮
集中治療室にて
子どもたちへの説明

Ⅴ 感謝 (2001年7月9日〜8月中旬)

7月9日のメール(事故入院後2日目)
7月11日のメール(事故入院後4日目)
子どもたちの面会と「スピリチュアルなエネルギー」
7月14日のメール(事故入院後7日目)
7月15日のメール(事故入院後8日目)
7月16日のメール(事故入院後9日目)
娘の留学への決意と苦悩
7月22日のメール(事故入院後15日目)
7月23日のメール(事故入院後16日目)
7月24日のメール(事故入院後17日目)
7月25日のメール(事故入院後18日目)
私から娘への7月25日のメール(英国出発後4日目)
7月26日のメール(事故入院後19日目)
私から娘への7月26日のメール(英国出発後5日目)
7月28日のメール(事故入院後21日目)
私から娘への7月28日のメール(英国出発後7日目)
7月29日のメール(事故入院後22日目)
私から娘への8月4日のメール(英国出発後14日目)
8月8日のメール(事故入院後32日目)

Ⅵ 本当の幸福感 (2001年8月中旬〜11月初旬)

8月11日のメール(事故入院後35日目)
8月20日のメール(事故入院後44日目)
8月21日のメール(事故入院後45日目)
新たなる問題、脳の切開手術の可能性
娘の新しい旅立ち
9月14日のメール(事故入院後69日目)
9月17日のメール(事故入院後72日目)
9月27日のメール(事故入院後82日目)
10月25日のメール(事故入院後110日目)
11月11日退院(事故入院後127日目)

Ⅶ エピローグ(2001年11月初旬〜現在)

その後のわが家族
長男・卓也(30歳)
次男・正至(28歳)
正至からの3月7日のメール
正至からの3月31日のメール
長女・万葵(24歳)
妻・由利子(58歳)
私・登史彦(61歳)
最後に

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第二部 *悔いなき人生のために*
(2006年10月、関西師友協会の講演より)
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■神様からのプレゼント
■『陰隲録』
■私の運命論「両手ますかけ」
■大器晩成
■人間万事塞翁が馬
■徳之島行きの実行力
■猛烈銀行員の結婚
■社長就任と全員面接
■家庭の状況
■マラソンとの出会い
■神様との出会い
■マラソンから学んだこと
■社長退任決意
■妻の事故
■社会への貢献
■これからのボランティア活動
■結びの言葉

岡田登史彦からのコメント

わたしが書いた「今を生き、明日を生きる」が、出版会社のPHP研究所から1月7日に初荷で出荷され、9日位から街の本屋さんの店頭に置かれるようになります。まだ、わたしは店頭に置かれている自分の本を確認していませんが、もし自分の本を見つけたら、誰かに買っていただく瞬間を見たくて、ずーとそこに立ち止まっていそうです。

事故を起こした当人である妻は、この本を読んで、改めてわたしの妻への看病が本当に大変だったことを理解してくれました。また妻がこの本を他人的に読んで、涙したというのですから、ちょっと感激です。でもその涙が、文章がよくて感激したのか、わたしの看病が良かったのか、その辺の理由ははっきりしないのが残念です。

ただ、この本が残ったため、妻としては記憶がなかった時の様子が新たに加わり、記憶が全体として繋がったようです。これには感謝していました。

どちらにしても自分の書いた本が世に出ることは本当にうれしい事です。皆さんも書いてみてはいかがですか。

岡田 登史彦
2008年1月9日