2008年11月12日

「人は、優しくなろうとすると、どこまでも優しくなれるもの」

Filed under: 岡田登史彦の思い・感想 — admin @ 11:02 AM

 トライアスロンの自転車練習中の事故で右半身麻痺となった妻由利子が、リハビリの成果を確認するため2008年11月2日開催のニューヨークシティーマラソン(以下NYCM)にチャレンジすることとなり、私は、妻に伴走、出場してきました。

事故前はフルマラソンで、4時間を切るスピードで走っていた妻ですが、今回の完走時間は10時間22分47秒でした。事故前と比べると2倍以上長くかかりました。

今回アーリースタート(正規時間より早めにスタートすること)することが出来たお陰で、普通の大会では、いつも最後尾を独りさびしく走っている私たちですが、ここでは約4万人のランナーに追い越されていく形で、一緒に走ることができました。

この「アーリースタート」は、私たち二人には初めての経験でしたが、これを経験したおかげで、今までよく見えなかった「人生は粋なもの、素晴らしいもの」であることを発見したようです。それは、多くの方々から、最も弱い立場にあるものに対して示された温かい眼差しや声援・応援を、肌で感じることが出来たからです。

これはまさに10時間22分47秒かかったが故に、得られた「挑戦することへの評価」であり、「人の優しさ」であったようです。そして、改めて「人は、優しくなろうとすると、どこまでも優しくなれるもの」だということを知ったのです。

 この「人は、優しくなろうとすると、どこまでも優しくなれるもの」だということには、2通りあるようでした。

そのひとつは、アーリースタートという制度、この仕組そのものが「優しさ」の表現でした。

 それは、アーリースタートが認められる選手の完走予想時間は、概ね9時間以上ですが、このレベルのランナーは、日本では遅すぎ全く走る機会がありません。それを、ここNYCMでは、救済し出場を認めているのです。しかも、このアーリースタートを認められた選手は、参加者総数約4万人の中で、たった39人です。大変な「優しさ」といえます。

 その上39人の選手とその伴走者に対する気遣いは素晴らしいく、アーリースタートを認められた選手たちのバスは、パトカーに先導され、2台の白バイに守られ、赤信号も停車することなく、ノンストップでスタート会場に移動するのです。まるで最高のVIP扱いでした。

 そして二つめは、私たちは、ニューヨークの障がい者ランニングクラブ(名前:アキレストラッククラブ;以下アキレス)の赤いTシャツを着て走ったのですが、多くの沿道の皆さんはその赤いTシャツを着ているのが障がい者だと知って、温かい心のこもった応援をしていただきました。この態度で表わしていただくことも重要な「優しさ」の表現だと思いました。

 アーリースタートしてわずか15分もすると、39名のランナーの中で、妻は、後ろから1番目か2番目で、一人の車椅子のランナー以外は、すでに周りには誰も見えなくなっていました。まるでコース全部が貸し切りと言ってもいい状況で、演劇に例えるなら、舞台中央に立つ主役のようでした。

 しばらくすると、トップランナーの30数人がまるで弾丸のように私たちを追い越して行きましたが、それまでの時間は、私たちともう一人の車椅子ランナーとが、町の皆さんの応援を独り占めにしていたのです。「頑張れアキレス! GO! GO! 由利子!」と、大きな声援が飛んできました。この応援は圧巻でした。いつまでも続くカーテンコールのようでした。

 沿道の皆さんのみならず、追い越してゆく約4万人のランナーからも暖かい心のこもった声援・応援がありました。私たちの肩を軽くたたいたり、親指を上にして「GOOD!頑張ろう!」と表現してくれていました。ランナー自身が厳しい苦しさのレースの中にいるのにもかかわらず、本当に優しさにあふれていました。

 日の出をスタート会場に行くバスの中で見て、日の入りをゴールのセントラルパークで見るという長い長い1日で、肉体的には大変厳しかったのですが、精神的には沢山の「優しさ」をいただいたお陰で、「生きる力、挑戦する勇気」が蓄えられました。NYCMのゴールに到着していないにも関わらず、来年もまた、ここニューヨークを走ろうと誓う私たち二人がいました。本当に経験もしない優しさにあふれた大会でした。そして感謝・感謝の連続でした。

(追伸)

直面する国際金融不安からの景気後退や、国家の財政状況の厳しさから国民へのサービス低下が予想されるなど、国民の生活は大変厳しくなると思われます。しかし「人は、優しくなろうとすると、どこまでも優しくなれるもの」ということを信じ、行動するなら、幸せな質の高い人生が待っているような気がしてなりません。「優しさ」に溢れる生き方を考え、行動してみては如何でしょうか。

以上


2008年7月2日

今こそ「家庭」を大切に

Filed under: 岡田登史彦の思い・感想 — admin @ 11:01 AM

平成7年、刑法が改正され尊属殺人罪を含む尊属加重規定がなくなりました。そして、それ以後、「尊属殺人」は死語となり、一般の「殺人」となりました。刑法が改正されたからではないのでしょうが、このところ子供が親を殺し、親が子供を死に至らしめると言った事件が多発しています。

一方、警察庁は、平成20年6月、平成19年中の自殺者数が33,093名と10年間連続して3万人台の大台を超えたと報じました。亡くなられたご本人はもちろんのことご家族の悲しみを考えると、何とかならないものだろうかと考えさせられます。

家計を支える働き盛りの40歳から59歳までの方が39.1%とのことです。また、自殺原因を平成15年と比較して見ますと、「健康問題」が37.5%から47.8%へ、「家庭問題」が9.3%から12.2%へと、それぞれ10.3%、2.9%上昇しています。

社会に目を向け、「一燈照隅・萬燈照国」との教えに基づき、国家の繁栄を願う日々ではありますが、自殺者を少しでも減少させるため、改めて、今一度、「一燈照隅」の心で、それぞれ個々人が、自らの家庭に対して真剣に目を向け、対応すべき時が来ているのではないかと思います。

以上


2008年1月14日

*** 成人式のニュースからの感想、 ***

Filed under: 岡田登史彦の思い・感想 — admin @ 2:24 AM

―― あるべき「価値・哲学・倫理感」 ――

 今日1月14日は成人式でした。夕方のTVニュースではきれいに着飾った女性が取材を受けて話していました。どのTVのニュースをみても紋切型の回答しかありません。なぜこんなにもつまらない受け答えなのかと考えました。

 しばらくしてその原因がわかりました。

 TVニュースの編集者が気に入らない答えはすべて没にしているのです。

 こんな調子で、社会の出来事を編集されたとき、私たちの得た情報は本当に正しいのでしょうか。ニュースの真実は1つしかありません。しかし、編集者からバイヤス(=偏向)がかかれば、真実は見えません。

 わたしは、ロンドンで勤務していたとき、日本の新聞を1週間遅れで読んでいました。1週間遅れですから、予測記事でも答えが出てから読んでいるのですから、その記事の間違いが判ります。多くの場合、その間違いの原因は、正しい情報の積み上げをしないで、偏見や自説に基礎があったためだと思います。

 今わたしたちは、大変テンポの速い社会に生きています。それだけに基礎的な価値観や哲学・倫理感が、いまこそ必要になってきたのだと思います。この価値や哲学・倫理感が欠落したとき、欠陥商品が生まれ、賞味期限の意味が失われ、政治家への不正に対する追及が鈍るのです。

 今回の京都市長選挙は、あるべき価値や哲学・倫理感がまさに問われているのかもしれません。市民の責任は重いと思います。


2008年1月10日

*** 「当事者の目線・立場に立って」という意味について ***

Filed under: 岡田登史彦の思い・感想 — admin @ 2:22 AM

 大阪府知事選挙が今日1月10日告示されました。2月3日には京都市長選挙が告示され、わたしもその当事者の一人となる予定です。それゆえ、今回の大阪府知事選挙は大いに関心を示しています。<br><br> よく会社経営のなかで「当事者の立場に立って」とか「消費者の目線で」といわれていますが、今回の大阪府知事選に合わせてこのことを考えると、相手の立場になって物事を考えることは、よほど本気で、その当該案件を考えないと出来ないことなのだということが判りました。<br><br> 逆に本気で、大阪府知事選挙に関心を示しているわたしは、自分自身が本当に京都市長選挙に出馬するつもりでいるのだという本気度を感じます。そしてそれは、まるで鏡に映されている自分のようでもあります。<br>


2008年1月9日

*** わたしの自作の本が店頭に並びだしました。 ***

Filed under: 岡田登史彦の思い・感想 — admin @ 2:21 AM

 わたしが書いた「今を生き、明日を生きる」が、出版会社のPHP研究所から1月7日に初荷で出荷され、9日位から街の本屋さんの店頭に置かれるようになります。まだ、わたしは店頭に置かれている自分の本を確認していませんが、もし自分の本を見つけたら、誰かに買っていただく瞬間を見たくて、ずーとそこに立ち止まっていそうです。

 事故を起こした当人である妻は、この本を読んで、改めてわたしの妻への看病が本当に大変だったことを理解してくれました。また妻がこの本を他人的に読んで、涙したというのですから、ちょっと感激です。でもその涙が、文章がよくて感激したのか、わたしの看病が良かったのか、その辺の理由ははっきりしないのが残念です。

 ただ、この本が残ったため、妻としては記憶がなかった時の様子が新たに加わり、記憶が全体として繋がったようです。これには感謝していました。

 どちらにしても自分の書いた本が世に出ることは本当にうれしい事です。皆さんも書いてみてはいかがですか。


2008年1月1日

*** 新年あけましておめでとうございます。 ***

Filed under: 岡田登史彦の思い・感想 — admin @ 2:11 AM

 皆様 新年あけましておめでとうございます。
 
 本年もどうかよろしくお願いします。

 大晦日から家族に囲まれての正月を迎えていますが、京都の都市経営のあり方について、マニフェスト作成のため勉強しなければならないことが多く、正月元旦は、机に向かっての外出しない1日になりました。

 勉強とはするもので、思ってもいなかった効果がありました。それは、自分の考えを変えさせてくれる事実の発見です。普通自分が思い込んだ考えはそんなに変わるものではないのですが、勉強の結果たどり着いた新しい考え方には大きな力がありました。それがわたしを変えさせてくれているのです。
 当然、いままでの自分の考えを数値で補強してくれるという効果もありました。しかし、色々な発見があるということは、勉強しないとこれらの新しい事実を知らないままでいるということですから、いつまでも勉強は必要なのですね。


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