京都府視覚障害者協会からの公開質問状に対する回答
わたしは、現在、同志社大学の大学院博士過程で社会福祉を勉強している現役の大学院生です。研究者として学んでいる社会福祉の観点から、一人ひとりの人権の在り方を学んできましたが、法律的な分析や歴史的経緯といった意味では人権を学んではいません。しかし、滋賀県の高島市が2年前から取り組んでいる人権意識を啓発し、人権を守るという運動を推進しようとする「人権施策推進懇話会」には副座長として参加しておりました。そのおかげで、この懇話会では、家庭や施設、または社会現場で起こる人権侵害問題や差別問題について具体的な報告がなされ、そのさまざまな具体的出来事にどのように対処すべきかといった事柄が討議されていました。これは、実践現場での人権を守るということは如何なるものかということを勉強できたと思っています。
今回は、このような実践現場での人権問題をどのように解消してゆけばいいのかという観点から回答させていただこうと思っています。
(質問1)市民への広範な人権啓発についての具体的な施策の提案について
はじめに、世界の人権に対する意識の流れは、第2次世界大戦後、人種、性、言語、宗教を問わず、すべての個人の人権尊重のため1948年国際連合は「世界人権宣言」を採択しました。1960年代にはアメリカで公民権運動が大いに高まり、人権意識に対する一定の理解が進みました。その中で1966年に人権の実現を、国家に義務付けるための「国際人権規約」が採択されました。そして1995年から2004年までを「人権教育のための国連10年」と宣言し、人権の教育、人権の実現に注力しています。
このような世界的な潮流に対して、わが国でも人権の実現に向かって、努力していますが、本当に国民的な広がりを持って受け入れられているか、また、日常生活の中でどの程度幅広く国民が、偏見のない対応や支援をしているかといえば、現実的にはまだまだ人権意識の高揚が必要と思われます。そして多くの人々に対して啓発の余地が残されていると思います。特に障害の種類によって、人権の範囲や意味に格差があるように思えてなりません。つまり、支援すべき人々の中でも、障害の種類によって人権の意識に差があるような気がしてなりません。
たとえば、身心障害者における人権問題は、本来同じはずですが、なぜか大きく異なっているように思われます。つまり、障害者の中でも視覚障害者・聴覚障害者・知的障害者・精神障害者とそのそれぞれの障害に対する人権意識にも違いがあるような気がします。本来ならそのような差があってはならないと思いますが、おなじ人権問題としての扱いがされていません。
このような状況を踏まえて、わたしは今後の人権問題の在り方について、京都市が日本の先駆けとなるような研究会・調査会を開催し、障害者の人権問題を幅広く研究したいと思っています。そしてこの研究会や調査会の成果を多くの市民の方に啓発していければと思っています。なおこの際、この研究会の特徴は、身近な具体的な事例を市民の皆様に伝えることを主たる目的としたものと考えています。
(質問2)京都市における「障害者差別禁止条例」制定に向けた
基本的な考え方について
わたしは、先に述べましたが、滋賀県の高島市での「人権施策推進懇話会」に副座長として参加しています。わたしの思いは京都市として高島市と同じような市民がつくる「人権条例」が制定できればと思っています。
この条例制定の主たる目的は、人権尊重のための啓発であり、この質問にある“障害者差別禁止”という厳しい条件がつけられるかどうかは、条例制定に向けた準備委員会次第だと思っています。
以上
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