「家庭の在り方」の見直しと、「普通の人々」の社会における使命感について
憲法第25条の理念と現実の社会状況との格差
わが国は、憲法第25条で、国民に、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とし、また、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」としています。
しかし、社会福祉の現状は、平成20年の第59回社会保障審議会介護給付費分科会において、全国老人福祉施設協議会副会長の中田清委員が、「特別養護老人ホーム入所待機者は全国で45万人に達するのではないかと考えられます。これらの入所待ちの要介護者と家族の実態は、『老老介護』、『認認介護』といわれる状況にあり、中には介護離職せざるを得ない人も増えています。さらに、介護疲れからくる『高齢者虐待』も一向に減らない現実が、私たちの現場に重く圧し掛かっています。」との発言からも窺われるように、憲法が国民に対して保証している理念と比べて大きな格差があると言わねばなりません。
「社会福祉基礎構造改革」の隠された理由
厚生省は、平成11年6月24日に、「個人が尊厳を持ってその人らしい自立した生活が送れるよう支えるという社会福祉の理念に基づいて」との理念の「社会福祉基礎構造改革」を発表し、改革を進めてゆきました。
しかしこの「社会福祉基礎構造改革」には「高齢社会の進展が国家財政に与えるコスト負担を軽減するため」という隠された理由があり、これが背景となって憲法の理念に逆行する社会福祉の状況を作り出しました。「施設介護」から「在宅介護」への転換が入所待機者の増加を生み出し、悲惨ともいえる在宅介護の現場が出現したのです。
国民は改めて、家庭での役割・義務を果たすが必要があること
社会福祉現場の改善には、「社会福祉基礎構造改革」後の施策の見直しが急務であると考えますが、一方で在宅介護の現場である「家庭の在るべき姿」そのものも考え直す必要があります。
「家庭の在り方」について安岡正篤先生は、『日本の父母に』(致知出版社、平成21年10月30日復刻出版)の中で、「社会福祉といって、託児所や養老院、保護指導施設や、学校・教会等、ものものしい施設ばかり考えて、人類発生以来すたれたことのない、もっとも生命のある生活共同体の家庭というものを粗末にすることは、人間のもっとも愚かなことの一つと言わねばなりません。」と、「家庭」の大切さを訴えておられます。
在宅介護の現場は全国的に一家庭では克服できないほどの大変厳しい状況にありますが、少なくとも、まず自らの家庭の在るべき姿を検証し、欠けているものがあれば自らが補完する形で、家庭での責務を果たす必要があるのではないでしょうか。
住みよい国は「幸せな人や元気な人=普通の人」の使命感から作り出される
その上で、これから本当に大切なことは、国民の心の中にある家族の枠を超えて、弱い人や困っている人を助けようと言うこの気持ちを一種の使命感のレベルにまで深め広げてゆく必要があるということです。これは、社会福祉における「相互扶助の精神」を守り抜くという使命感でもあります。
とりわけ「普通の国民である『幸せな人や元気な人』は、幸せで、元気であることのお礼の気持ちを、心や体で表し、行動することという使命感を創り上げてゆくべきではないでしょうか。国民が喜んで自らの義務を果たしていけば、たとえ現在の社会福祉現場が厳しくても、必ず今よりもすばらしい、安心して、安全に暮らせる国が生まれると確信しています。
以上
TrackBack URI : http://www.okadatoshihiko.net/thought/20091125110850.html/trackback
Comments (0)